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平成9年生人,根深蒂固的上下级思想

高桥一生,从歌手身份重新审视演艺“独乐乐不如众乐乐”(二)



では、歌手活動についてはいかがでしたか?

通过这次歌手的经历,您自身感觉如何呢

レコーディングを終えてから『東京独身男子』の現場入りをしたことで、現場のスタッフワークが改めてよく見えてくるようになりました。歌手活動を経験するまでは、アーティストの方は0(ゼロ)から1(イチ)を生み出しているイメージが強かったんです。一方で俳優は役なり台本なり、すでに存在しているものに乗っかっていく側面が大きい。そういう意味で、どこかアーティストの方にコンプレックスがあったのかもしれません。けれど実際にレコーディングを経験して、1曲に関わる人数の多さ、それもすべての人がこんなにも物理的に関わっているんだということを知ることができました。

从结束录音,再到”东京独身男子“的拍摄现场,这其中的变化让我对在”现场的工作“有了新的认识。直到自己从事演唱工作之前,一直的印象都是,音乐人的出现是从0到1而来的。与之相反,演员则是不同的剧本诞生不同的人物,在既有的东西上进行创作。从这个角度而言,我之前说不定是对音乐人产生了一点误解。然而真的自己去录音,经历了这个过程,才发现,一首歌的诞生,幕后竟然有这么多人在参与,在谋划,这些人都因为这首歌而紧密关联在了一起。

「レコードショップにあいさつ周りをするなかで、店員さんのポップに感動した」とコメントされてましたよね。さまざまな場面で音楽を支えている人たちがいることを実感されたと。

您自己也说过,再走访音像店进行宣传的时候,被那些店员的热情程度感染到了。这是说,您是切身体会到了,在音乐创作的背后,有这么多人在各种各样的场合,无声地支持着音乐,是这个意思吗。

俳優もいろんな場面で「誰1人欠けてもこの作品はできないんだ」と実感することはあります。それこそ映画の舞台挨拶で映画館に伺ったときに、館主の方がその作品への思いを語ってくださったり。関わった人それぞれの作品に対するストーリーに触れるたびに「1人じゃない」と思える、その感覚は年々大きくなっています。もちろん、今までもわかっていたつもりではあるんですが、さきほどの“知識と経験の差”のように、レコーディングという新たな経験を通して、いま改めてそのことを咀嚼し直している最中なんだと思います。少し前までは芝居に対して潔癖なところや、自己で完結させなければという感覚が強かったんです。他者と関わると芝居が脆くなる気がしていて──。けれど自分の範疇でできることには限界がある、ということに遅まきながら気づきました。

演员也是一样,我也应有体会到”一个作品之中,少了谁也不行“。正是因为如此,因为宣传电影进电影院的时候,能听到那里的人们跟我讲述着他们对这部作品的想法。随着出演作品的增多,我心里的某个想法变得越来越明显。那就是一部作品,和这部作品有这样那样的关联的人,每次看这部作品背后的故事时,总能感受到”不是一个人在参与,这是一个团体“这样的东西。当然我自己也知道,就像刚才提到的”随着阅历的增长“,经历了音乐的录制这样新的体验,我开始重新审视和别人合作这件事情,可以说是最近一直在想这件事情。在这之前,我还一味的觉得,拍戏,只要做好自己这部分就行了,而且我对自己的演技要求也很高,要是不断配合别人的话,自己的演技也会变得不堪一击。但是,自己能做到的事情果然还是有限的,通过这次做音乐,我终于后知后觉明白了这个道理。

歌手デビューも、その気づきのきっかけになったのでしょうか?

那作为歌手出道,也是出于这个原因嘛。

そういう側面もあります。自分ですべてをコントロールせず手を離したら、自分の範疇外の出来事が起こるようになりました。そこに楽しみを見出せるようになったのかもしれません。もちろん自発的な選択はしますが、自分1人で何かを起こそうというよりも、他者に振ったときに返ってくる、その反射がどういうふうに発展していくかを、これからはもっと楽しんでいきたいです。

也有这层原因。自己掌控不了全局,由此把一些事情交给别人做,就做成了原本自己一个人做不成的事情。从这之中,我也发现了乐趣。当然自己也会想着做点什么,比起自己一个人准备做点什么事,做事的时候首先找个伙伴,然后凭借这个伙伴的力量,又给你的这点想法带来了什么新的活力,新的启发,接下来我会更享受和人合作的这个过程。

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