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平成9年生人,根深蒂固的上下级思想

昨天有个没有绝对音感的人跟我说她想听出来papurika


希望有一丢丢乐理常识的人

都可以去看看

米津这首歌

到底好在哪儿



国民的ナンバーのひとつとなった“パプリカ”。米津玄師が「<NHK>2020応援ソングプロジェクト」として2018年7月に書き下ろし、オーディションにて選ばれた小学生5人組ユニットFoorinが歌唱を、辻本知彦、菅原小春がダンスの振付を担当した曲だ。MVのYouTube視聴回数は1億回を突破し、2019年8月からは、キーやアレンジを微妙に変えた米津玄師によるセルフカバーがNHK『みんなのうた』で放送され、MVも公開されている。今回は同曲が多くの人から愛される理由を改めて分析してみたい。

米津玄师于2018年七月发表的歌曲papurika,迅速蹿红。由小学生五人组风铃担任演唱,辻本知彦、菅原小春为其编舞。一年之后的2019年8月,风铃版的mv播放数已突破一亿,正值此时,由米津玄师亲自cover的papurika也于“大家的歌”这个NHK板块,与大家见面,油管也公开了米津玄师cover版的papurika mv,现在我们来分析一下,是什么让papurika如此受受欢迎。


まずは何と言っても美しいメロディだ。いわゆる「応援ソング」とか、「小学生が歌う」といった条件に寄せて歌いやすく……なんて作り方はされておらず、あくまで米津玄師らしさがスパーク sparkしている。同時に、だからこそ日本人の琴線を更新するような旋律になっているのだ。詳しく説明すると、ヨナ抜き音階という言葉をご存知だろうか。ドレミファソラシから4つ目の音(ヨ)と7つ目の音(ナ)を抜いた5つの音列で、民謡や童謡などによく使われる。

别的先不说,我们就先看这无与伦比的曲调。这首歌我们可以发现,它不寻常与一般的应援主题曲,为了配合小孩演唱而作曲什么的,这类作曲手法并未出现在该首歌曲之中,说到底,这首歌还是散发着米津玄师独有的作曲风格。正因如此,这首歌也让日本历来有的曲风得到了更迭换代。具体而言,这是一种日本独有的作曲风格,经常出现在各种童谣民谣之中,名叫“去faxi”五音音阶。比如正常的CDEFGAB=1234567,在“去fa xi”长音阶中表现为,CDEGAC=123561(正常C大调),在”去fa xi”短音阶中表现为,ABCEFA=671341(降A大或小调)(没有什么乐理常识靠听成曲练习loser的jppalo的瞎比比)


“パプリカ”では、Aメロ冒頭とサビ後半、1コーラスの始めと終わりに採用されていて、つまりこの音階が下地となっている。ただ歌謡曲、そしてJ-POPと発展してきた国内ポップスにおいて、よりセンチメンタルな感情の動きを表現するため、ヨナの2音をプラスした7音音階(普通のドレミファソラシ)を使うケースは珍しくない。本曲でもAメロ後半〜サビ前半のグッとくるところで多用されていて、要するにこの段階までは既存のポピュラーミュージックと遜色ない。しかし、本曲が特別なのは、さらにもうひとつ、増5度(と付随する増4度)という音程が足されている点だ。1番Bメロ《会いたい》の《た》や、同じく《晴れるかな》の《れるか》などがそれ。聴き返してみると、ものすごくキュンとするでしょう? 普通は気持ち悪く響いてしまうこの音を、コード進行に隠し味を加えることで綺麗に存在させている。この切なさの作り方がなんとも華麗で、まさに、新たな音楽の魔法をかけるかのようなのだ。あと、続くサビにも大きな仕掛けが施されている。転調しているのだ。そのおかげで、哀愁あふれるBメロとのギャップもあいまって、サビに入った瞬間、パンっとハジけるような明るさが広がる。そのインパクトが、リスナーの胸に深く染み渡るのである。

papurika从一开始到高潮部分作为一小节,采用的是A调,这一段是作为整首歌的铺陈。但是就歌谣和国内JPOP的演变而言,为了突出主体的感情,在普通C大调的基础上锦上添花,采用“去fa xi”音阶的编曲,并不少见。papurika这首曲子也是,一开始的部分惯用“去fa xi”的A调,这跟我们平常听的流行歌曲没什么差别。但是本曲唯一不同的就是,在A调的基础上,又增加了五度(或是说附加增添了4度)。这一点具体表现在,会いたい的た这个音,晴れるかな的れるか这三个音阶上再回去听一听,是不是感觉到这几个音,非常抓耳。本应该是A调中不协和的音符,在米津玄师的巧手之下,通过音阶的调整,变成了整首歌曲的亮点。这种余音绕梁的作曲手法,可以说是给整首歌曲带来了神奇的转变。进入高潮部分,我们也可以看到,由于米津玄师选择从A调转B调,两个调之间的差异,让进入高潮部分的那一瞬间,整首曲子的曲风变得明亮有力,作为反复出现的高潮歌词,也就这样深深的刻在人们的脑海里。


次に歌詞。注目すべきは、壮大な応援ソングというより、まるでこどもの日記のような形式で綴られていることだ。それがFoorinの声で響き渡るとき、言葉に表情が宿り、等身大のまばゆい願いとして聴こえてくる。それはおとなにとっても、自分の原体験を連想したり、投影したりすることができて、「そういやあの頃はこんな気持ちだったなあ、よし、じゃあ今は」と前を向かせてくれるものとして機能する。そして、そんな効果をブーストする鍵となるのが、日本の風土が描かれているということなのだ。《青葉の森》、《日差しの街》、《花》、《晴れた空》……こうした言葉を耳にすると、自然と自分が見てきた情景が目に浮かんでくる。例えば「もののあはれ」と呼ばれるような情緒、そこを刺激するからこそ、日本人ならじんとせずにはいられない歌詞となっているわけだ。

接下来我们来看歌词部分,比起人们印象中优美雄壮的应援曲风,这首应援歌曲,完全就像在写日记。这样的歌词透过风铃五人组的歌声,单薄无力的语言仿佛有了生气,让我们感觉到这首歌就是在写某种美好闪耀的愿望。这样的歌词,就是放在大人身上,也能同样感同身受,想起过去的自己,仿佛看到了自己过去的身影,大人们也不禁感慨“啊,那个时候我是这样的啊,那,现在也要继续努力啊!”,米津玄师的歌词带给人勇往直前的动力。让歌词进一步得到升华的,就是米津玄师采用的这些让人们对日本这块国土浮想联翩的原风景,“郁郁葱葱的森林”,“太阳斜射的街道”,“花”,“放晴的天空”,对于这些原风景再熟悉不过的日本人,自然而然眼前会浮现出这样的场景,随之而来的内心的波动可想而知。


また、やはり《パプリカ》という単語についても考えておきたい。タイトルであり、サビの冒頭で歌われるこの言葉は、まず色鮮やかな視覚的イメージが鮮烈だ。そして4文字のうち、3文字がパ行とカ行、いわゆる無声破裂音になっている。先ほど「サビに入った瞬間、パンっとハジける」と記したが、まさにそういう語感なのだ。しかも《リ》のメロディはコブシが効いていて(ブルーノートというエモい音が入っている)、前述のとおり転調もしている……何重にも積み重なった要素がとんでもない衝撃となって伝わってくる。だから歌いたくなるし、歌えたら気持ちよくなる。こうして“パプリカ”という楽曲は、聴き手ひとりひとりの「自分の歌」として羽ばたいていったのである。

我还想强调的就是米津玄师采用的彩椒,papurika,这个单词作为曲名。这既是曲名,也是进入高潮部分的标志,彩椒,从视觉上就带给我们颜色的冲击感,这个单词,除ri这个音之外,剩下三个音,全在日语五十音的pa行和ka行,也就是我们所说的无声爆破音,刚才提到的,“进入高潮,整个曲风变得明亮有力”,也是这个缘故。然后ri这个音,自带一种忧伤的效果,从这个音开始,曲子由A调转B调,之前包含的情感就这样,就在ri这个音上得以实现。papurika这个单词的音阶构成和米津玄师独特的作曲手法,让这首歌浑然一体,让人想跟着唱,唱着唱着心情也会变好。对于我们每一个听众来说,这都是一首可以让自己敞开心扉的歌。


最後に、サウンドプロダクションにも触れておきたい。特にセルフカバーのほうは、世界中のポピュラーミュージックを見渡したうえでの音色、アレンジになっているとともに、和楽器のテイストもほんのりと香っている。メロディと歌詞にも通底する、この国ならではの文化。日本的なものを慈しみ、リスペクトする精神。それこそが幅広く愛聴される一因というわけだ。ただし、さまざまなオーディエンスの心を動かした事実だけでなく、国内音楽の歩みをある種先導しているという点こそ、賞賛されるべきであると僕は思う。(秋摩竜太郎)

最后,我还是想回到音轨制作这一点上,尤其是他的COVER,基本覆盖了现代流行歌曲可以听到的所有乐器的音色,在重新编辑曲调的基础上,我们可以隐隐约约嗅到到和风乐器的气息。曲调和歌词的浑然天成,日本这个国家独有的文化,米津玄师对于日本独到的理解,和其敬畏的精神,通过这首歌我们都能有非常强烈的感受,这也是这首歌广外流传的原因之一。这首歌不仅让我们每一个听众都为之心动,它也作为日本国内音乐革新潮流的伊始,值得我们予以关注。


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